東京高等裁判所 平成9年(ネ)3575号 判決 1998年6月18日
控訴人
住友不動産フィットネス株式会社
右代表者代表取締役
佐藤瑛
右訴訟代理人弁護士
山分榮
同
島田耕一
被控訴人
株式会社太陽地所
右代表者代表取締役
才藤健二
右訴訟代理人弁護士
岩崎章
同
渡邉和信
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 控訴人は、被控訴人に対し、金二億〇一六二万二五〇〇円を支払え。
2 被控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 事案の概要
本件は、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」といい、同目録記載の事務所・店舗・駐車場全体を「本件ビル」という。)を賃借していた控訴人が、二回にわたり賃料減額の意思表示をした上、右各意思表示をした以降は減額した各賃料額しか支払わなかったため、賃貸人である被控訴人が、賃料支払義務の不履行であるとして、本件建物の賃貸借契約を解除し、本件建物の明渡しと未払賃料等の支払いを求めた事案である。
一 争いのない事実等(争いのない事実のほかは、以下に掲記の各証拠と弁論の全趣旨を総合して認められる。)
1 被控訴人は、昭和六一年一〇月一日、控訴人に対し、本件建物(ただし、賃貸面積については、後記のとおり争いがある。)を、次のとおりの約定で貸し渡した(以下「本件賃貸借契約」という。)。(甲第九号証の一)
(一) 賃料は一か月四五〇万円(消費税は別途支払う。以下、特記する場合のほかは、消費税についての記載を省略する。)、共益費は一か月七二万円とし、毎月二五日限り翌月分を支払う。
(二) 保証金は一億六二〇〇万円とする。
(三) 賃貸借期間は、本件建物完成引渡の日から三年間とする。
(四) 賃貸人又は賃借人が期間満了の六か月前に相手方に対して別段の意思表示をしないときは、更に三年間賃貸借期間を延長することができ、以後も同様とする。
(五) 賃借人は、賃貸人に対し、賃貸借開始の日から満三年ごとに割増賃料として新賃料の一か月分を支払う(以下「本件割増賃料」という。)。
(六) 本件賃貸借契約が終了し、賃借人が本件建物を明け渡さないときは、賃借人は、賃貸人に対し、賃貸借終了の日の翌日から明渡し済みまで賃料相当額の倍額の損害金を支払う。
2 平成二年四月二四日、控訴人と被控訴人とは、本件賃貸借契約を、同月一日から更に三年間、賃料を一か月五〇四万円、共益費を一か月七三万円として更新することを約し、控訴人は、本件割増賃料として五〇四万円を支払った。(甲第九号証の二)
3 平成五年四月一日、本件賃貸借契約は自動更新された。
控訴人は、被控訴人に対し、平成五年七月八日付け書面で、同年八月分以降の賃料を一か月四五〇万円に減額する旨の意思表示をするとともに、更新時に支払うべき本件割増賃料の支払いを拒絶し、同月分は減額後の賃料額を支払った。(乙第一号証)
被控訴人は、同年八月四日、渋谷簡易裁判所に対し、控訴人を相手方として、同年四月一日以降の賃料を一か月五六四万四八〇〇円とする旨の調停を申し立てたが、右調停は不成立に終わったため、被控訴人はその後は従前賃料額の請求を続けたが、控訴人は減額後の賃料額のみの支払いを続けた。
4 平成八年四月一日、本件賃貸借契約は自動更新された。
控訴人は、被控訴人に対し、平成八年三月二五日付け書面で、同年四月分以降の賃料を一か月三二三万円に減額する旨の意思表示をし、更新時に支払うべき本件割増賃料も支払わなかった上、被控訴人が従前賃料額の請求を続けたにもかかわらず、同月分以降は右減額後の賃料のみを支払った。(乙第二号証)
5 被控訴人は、控訴人に対し、平成八年六月一三日到達の書面で、平成五年八月分から平成八年六月分までの未払賃料合計二二七一万円及びこれに対する消費税六八万一三〇八円並びに平成五年四月一日及び平成八年四月一日に支払うべき本件割増賃料及びこれに対する消費税計一〇三八万二四〇〇円の合計三三七七万三七〇八円を同月二〇日までに支払うよう催告するとともに、右期限までに支払いがされなかったときは、右期限の経過をもって本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
二 争点
1 控訴人に賃料不払いが認められるか否か。
(一) 被控訴人の主張
(1) 賃借人から賃料減額の意思表示がされても、賃貸人と賃借人との間において協議が調わなかった場合には、減額を正当とする裁判が確定するまでは、賃貸人は相当と認める額の賃料の支払いを請求することができる(借地借家法三二条三項)ところ、被控訴人は、控訴人に対し、相当と認める額の賃料として、従前賃料額である一か月五〇四万円の支払いを請求したのであるから、控訴人はこれを拒むことはできない。したがって、控訴人には賃料不払いの債務不履行があり、被控訴人のした解除の意思表示は有効である。
よって、被控訴人は、控訴人に対し、
① 本件賃貸借契約終了に基づく本件建物の明渡し、
② 平成五年八月分から平成八年六月二〇日までの未払賃料計二一〇三万円及びこれに対する未払消費税六三万〇九〇八円並びに本件割増賃料未払分及びこれに対する消費税計一〇三八万二四〇〇円の合計三二〇四万三三〇八円の支払い、
③ 本件賃貸借終了の翌日である平成八年六月二一日から本件建物明渡し済みまで一か月一〇三八万二四〇〇円の割合による約定損害金及びこれに対する消費税の支払い、
を求める。
(2) なお、控訴人は、後記(二)(3)、(4)において、本件建物の賃貸面積が485.62平方メートルにすぎないとして、るる主張するが、本件賃貸借契約の目的は、本件ビルの七階部分全体であって、契約面積は一八〇坪である(なお、甲第九号証の一の本件賃貸借契約についての契約書に契約面積として五四九平方メートル(一八〇坪)と記載されているが、五四九平方メートルの記載は単純な計算ミスによるものである。)。
したがって、控訴人の右主張はいずれも理由がない。
(二) 控訴人の主張
(1) 借地借家法三二条三項は、賃貸人は相当と認める額の支払いを請求することができると定めるのみであり、賃借人がこれを支払わなければならないことを定めたものではない。賃料の増減請求権は形成権であるから、減額請求した場合、請求時にその効力が発生するのであって、賃借人は減額請求した金額以上の支払義務はない。
よって、控訴人に債務不履行はない。
(2) 同法三二条三項にいう「相当と認める額の建物の借賃」とは、客観的に適正な賃料額と解すべきである。そうでなければ、賃貸人はよほどの事情がない限り従前賃料額を請求することとなり、賃借人において減額請求した意味がないからである。
そして、原審における鑑定結果によれば、本件建物の適正賃料額は、平成五年七月八日時点で一か月四三九万円、平成八年四月一日時点で一か月三五三万円であるから、被控訴人の従前賃料額一か月五〇四万円の請求は、相当な賃料額とはいえず、過大催告というべきである(むしろ、控訴人は、平成五年八月分以降は一か月四五〇万円を、平成八年四月分以降は一か月三二三万円を支払っているのであるから、被控訴人が請求した平成五年八月から平成八年六月までの三五か月間の全体をみれば、適正賃料額以上の支払いをしている。)。
さらに、被控訴人は、従前賃料額との差額の支払いを請求するほかに、本件割増賃料計一〇〇八万円の支払いも請求しているところ、平成五年八月から平成八年六月までの三五か月で割ると、一か月二八万八〇〇〇円の割増賃料となり、これを加算すると、被控訴人の請求賃料額は一か月五三二万八〇〇〇円となるのであっって、甲第二号証の鑑定書による一か月五一八万円をも上回り、相当な賃料額といえないことは明らかである。
(3) 本件建物の賃貸面積(原判決別紙図面の赤線で囲まれた部分)は、正確には485.62平方メートルにすぎないところ、原審鑑定による平成五年七月八日時点で一か月四三九万円、平成八年四月一日時点で一か月三五三万円という適正賃料額は、賃貸面積を595.04平方メートルとして算定したものであるから、これを正しい面積で按分すると、本件建物の正しい適正賃料額は、平成五年七月八日時点で一か月三五八万二七三六円、平成八年四月一日時点で一か月二八八万〇八八〇円であり、控訴人が減額請求した額すら大幅に下回る金額となる。
したがって、被控訴人の一か月五〇四万円の催告は、明らかに適正賃料を超えたもので、催告としての効力はないというべきである。
(4) 控訴人は、本件建物を借りるに際し、当初より被控訴人から、賃貸面積は一八〇坪であるといわれ、これを信じて賃貸借契約を締結し、賃料坪当たり二万五〇〇〇円の一八〇坪分四五〇万円、共益費坪当たり四〇〇〇円の一八〇坪分七二万円、保証金坪当たり九〇万円の一億六二〇〇万円を支払ってきた。右賃料及び共益費を本来の賃貸面積で計算すると、控訴人が賃料減額請求をするまでに、七七九二万二一六〇円の過払いがあることとなるが、これは、不当利得又は不法行為による損害賠償として控訴人に返還されるべきものである。
これに対し、被控訴人が催告してきた金額は三三七七万三七〇八円にすぎない。
以上によれば、被控訴人の催告は信義に反するものであり、催告としての効力を有しないというべきである。
2 本件賃貸借契約の解除が有効か否か。すなわち、控訴人に債務不履行の事実があったとしても、信頼関係を破壊しない特段の事情があったか否か。また、被控訴人のした解除は権利の濫用か否か。
(一) 控訴人の主張
(1) 控訴人が減額請求後に支払った賃料額は客観的に適正な額であるし、その支払いを遅滞したことはなく、被控訴人もこれを受領している上、控訴人は一億六二〇〇万円もの保証金を預託しているのであり、賃料不払いのおそれはないのであるから、被控訴人と控訴人との間の信頼関係は破壊されてはいないし、被控訴人による解除権の行使は権利の濫用である。
(2) 被控訴人は、控訴人が賃料確定訴訟を提起しないことを信頼関係の破壊の一事情として主張するが、賃料の増減請求のつど賃料確定訴訟を提起しなければならないものではなく、他の訴訟の中で賃料の確定を求めても何ら不思議はない。むしろ、話し合いを拒絶したのは被控訴人の方であって、控訴人の対応は信頼関係を破壊するものではない。
その上、本件ビルの管理が杜撰であること、パチンコ店に賃貸してビルの格を落とすなど、被控訴人側に信頼関係の破壊が見られる。
(3) さらに、被控訴人は、前記1(二)(4)のとおり、賃貸面積を偽り、控訴人に巨額の金員の支払いをさせているのであるから、控訴人の行為が信頼関係を破壊すると主張するのは、クリーンハンズの原則に反するものである。
(二) 被控訴人の主張
(1) 控訴人の主張はいずれも争う。
控訴人の主張するような事情は、いずれも信頼関係を破壊しない特別の事情には当たらない。
(2) 控訴人は、借地借家法三二条三項の規定を無視し、一方的に減額請求をした額の支払いを継続したままで、賃料確定訴訟も提起しない。控訴人は、本件紛争の種を自ら作りながら、その紛争状態を解決しようとする姿勢さえ見せないものであって、これらの事情からすると、控訴人と被控訴人との間の信頼関係は破壊されていることが明らかである。
3 控訴人は本件建物の明渡しをしたか否か。
(一) 控訴人の主張
控訴人は、平成九年一〇月三一日までに、本件建物の原状回復を完了し、これを被控訴人に明け渡した。
(二) 被控訴人の主張
本件賃貸借契約上、賃借人において原状回復の上本件建物を明け渡すことが定められている。しかし、控訴人の退去後の本件建物には開き窓ハンドルの欠落が一〇か所、調整ハンドルの欠落が一か所存し、控訴人は原状回復が未了であるから、本件建物を明け渡したとはいえない。
4 被控訴人が請求しうる未払賃料等の額
第三 証拠関係
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
第四 当裁判所の判断
一 争点1について
1 前記争いのない事実等によれば、平成五年四月一日本件賃貸借契約が更新されたが、この時点での本件建物の賃料額は一か月五〇四万円であったこと、控訴人は、同年七月八日に同年八月分以降の賃料を一か月四五〇万円に減額する旨の意思表示をしたこと、これに対し、被控訴人は、いったんは賃料増額の意思表示をしたものの、その後は従前賃料額を請求していること、しかし、控訴人は平成五年八月分以降は減額した賃料額を支払っていること、次いで、控訴人は、平成八年三月二五日に同年四月分以降の賃料を一か月三二三万円に減額する旨の意思表示をし、被控訴人が従前賃料額を請求するにもかかわらず、同月分以降は右賃料額を支払っていること、このため、被控訴人は、控訴人に対し、同年六月一三日到達の書面で、平成五年八月分から平成八年六月分までの未払賃料合計二二七一万円等を同月二〇日までに支払うよう催告をするとともに、右支払いがない場合は本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたこと、以上の事実が認められる。
2 ところで、建物の賃料について減額の請求があったにもかかわらず、減額について当事者間に協議が調わないときは、賃貸人は、減額を正当とする裁判が確定するまでは、賃借人に対し、相当と認める額の賃料の支払いを請求することができる(借地借家法三二条三項)。この場合、賃借人は、賃貸人が請求した相当と認める額の賃料を支払う義務を負うものであって、これを怠った場合には、債務不履行になるというべきである。
すなわち、賃料の減額の請求は、私法上の形成権の行使であり、減額の意思表示が到達した時点で、適正な額まで減額の効果が発生するものと解されるところ、減額の事由の存否や適正な減額の範囲について当事者間に争いがあるときは、客観的にはその減額の事由の存否や適正な減額の範囲は定まっているのではあるが、事実上明らかではなく、結局減額請求の可否及びその額についての判決の確定によってはじめて明らかとなるものである。したがって、賃借人において自ら減額を正当として減額後の賃料を支払う場合には、もし裁判により減額の事由がないものとされ又は減額後の賃料が請求額よりも大であるとされたときは、債務不履行の責を負い、賃貸借契約を解除されるおそれがあるし、その危険を慮って自ら請求する減額を否定するような額の支払いをすることも困難であろうし、他方、仮に賃借人の支払額に不足がある場合でも、その債務不履行を否定し、契約解除を認めないこととして、賃借人の保護を図ることとしたときに、賃貸人について、その不足額に対する利息ないし損害金の請求ができず又は法定利率による損害額しか請求できないとすることも、当事者の利益の衡平を図るという観点からは必ずしも妥当ではない。そこで、同法三二条三項は、減額請求について争いがあるときは、賃貸人は、裁判の確定するまでは、自ら相当と考える額(したがって、減額の事由がないものとするときは従前どおりの額)の賃料を請求することができ、賃借人はその請求額を支払わなければ債務不履行の責を負い、賃貸借契約が解除されてもやむをえないものとした上、減額の請求の裁判が確定し、減額が正当とされた場合において、賃貸人が請求し、受領した賃料額がこれを超えているときには、賃貸人はその超過額にそれに対する受領の時から年一割の割合による利息を付して返還しなければならないこととして、法律関係を明確化するとともに、当事者の利益の衡平を図っているのである。
控訴人は、同法三二条三項は、賃貸人は相当と認める額の支払いを請求することができると定めるのみであり、賃借人がこれを支払わなければならないことを定めたものではない、賃料の増減請求権は形成権であって、減額請求した場合、請求時にその効力が発生するのであるから、賃借人は減額請求した金額以上の支払義務はないと主張するが、同条項の趣旨を正解しない独自の見解であって、到底採用することができない。
3 同法三二条三項にいう相当と認める額とは、社会通念上著しく合理性を欠くものでない限り、賃貸人が主観的に相当と判断した額をいうのであって、減額の事由がないものと判断するときは従前どおりの額をもって相当と認める額ということとなるが、これを上回ることはないと解すべきである。
そして、本件において、被控訴人は、控訴人の減額請求後も、従前どおりの額である一か月五〇四万円の支払いを請求していることは前判示のとおりであるところ、この額が社会観念上著しく合理性を欠くものであると認めるに足りる証拠はない(かえって、甲第二号証によれば、平成六年二月二五日付け豊島不動産鑑定株式会社作成の不動産鑑定書においては、平成五年四月一日時点の本件建物の賃料は一か月五一八万円が相当である旨の記載がされている。)。
なお、控訴人は、同条項にいう相当と認める額とは、客観的に適正な額であると主張するが、同条項の趣旨は前項に説示したとおりであって、控訴人の右主張はこの趣旨を正解しない独自の見解であって、到底採用できない。
また、控訴人は、被控訴人が本件割増賃料計一〇〇八万円の支払いをも請求していることから、これを加算すると、被控訴人の請求賃料額は一か月五三二万八〇〇〇円となるのであって、甲第二号証の鑑定書による一か月五一八万円をも上回り、相当な賃料額とはいえないと主張するところ、仮に、本件割増賃料が実質的には賃料の支払いを定めたものであるとして、これをも考慮すべきだとしても、本件割増賃料は三年ごとに新賃料額一か月分を支払うべきものであるから、請求額一か月五〇四万円に、本件割増賃料分として五〇四万円を三六か月で除した一四万円を加算した一か月五一八万円として検討すべきこととなるところ、他方、従前賃料額も同様に一か月五一八万円であったと考えるべきこととなるのであるし、右額は甲第二号証の鑑定書による額を上回るものでもないから、いずれにせよ控訴人の右主張は採用できない。
4 なお、控訴人は、本件建物の賃貸面積は正確には485.62平方メートルにすぎないとして、被控訴人の一か月五〇四万円の請求が過大催告であるとか、信義に反し催告としての効力を有しないと主張する。
なるほど、乙第四号証に弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人が本件訴状において、控訴人に対し賃貸している部分であると図面表示した部分(原判決別紙図面の赤線で囲んだ部分に相当する。)の面積は485.62平方メートルであることが認められる。
しかしながら、他方、甲第九号証の一、二、第二二、二三号証に弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人が本件建物の入居者を募集するに当たっては、本件ビルの七階部分全体(控訴人の専用部分、すなわち原判決別紙図面の赤線で囲んだ部分のほか、空調機械室、給湯室、男子・女子便所、エレベーターホール等の共用部分を含む。)を一括して貸すことを前提とし、その面積が一八〇坪であるとして募集しており、これに応じて賃借の申込みをした控訴人との間でも、右七階部分全体について本件賃貸借契約が締結されたこと(なお、甲第九号証の一における賃貸面積の表示は「五四九平方メートル(一八〇坪)」とされているが、五四九平方メートルの記載は誤記と解される。)が認められる。
したがって、本件賃貸借契約は右七階部分全体を目的として締結されたものであって、面積の表示は物件の特定のほかには賃料額算出の一応の目安としての意味を有するにすぎないものと解される(そのうえ、空調機械室、給湯室、男子・女子便所、エレベーターホール等の共用部分を含む七階部分全体の面積は一八〇坪と大きな差異がないことが窺われる。)。
そうすると、控訴人の右主張は、その前提を欠くこととなり、その余の点につき判断するまでもなく、採用できないことが明らかである。
5 以上によれば、被控訴人が請求する従前賃料額一か月五〇四万円の額は借地借家法三二条三項にいう相当と認める額ということができ、控訴人は、減額を正当とする裁判が確定するまでは、右請求を拒むことはできないというべきである。しかるに、控訴人は、平成五年八月分から平成八年三月分までは、一か月四五〇万円の賃料しか払っていないのであるから、右請求額との差額一か月五四万円の合計一七二八万円が未払いであり、平成八年四月分以降は、一か月三二三万円の賃料しか支払っていないのであるから、右請求額との差額一か月一八一万円が未払いとなっていることとなり、控訴人において債務不履行があることは明らかである。
二 争点2について
1 控訴人は、控訴人が減額請求後に支払った賃料額は客観的に適正な額であるし、その支払いを遅滞したことはなく、被控訴人もこれを受領している上、控訴人は一億六二〇〇万円もの保証金を預託しているのであり、賃料不払いのおそれはないのであるから、被控訴人と控訴人との間の信頼関係は破壊されてはいないし、被控訴人による解除権の行使は権利の濫用であると主張する。
しかしながら、賃借人が減額請求をした場合でも、賃貸人との協議が調わない限りは、賃貸人の相当と認める請求額を支払うべき義務があるのであり、仮に減額請求が客観的に相当であったとしても、減額を正当とする裁判が確定するまでは右支払義務は免除されないことは前判示のとおりである。
しかるに、控訴人は、前記争いのない事実等のとおり、平成五年八月以降、調停において被控訴人と控訴人との話し合いの機会があったものの、調停は不成立に終わったのであるから、被控訴人と控訴人との協議が調う見込みはなくなったにもかかわらず、その後いつでも賃料改定の訴訟を提起するなどの方策を講ずることができたはずである(ちなみに、乙第二号証によれば、控訴人は、平成八年三月二五日に減額の意思表示をした際、被控訴人に対し、同年四月中に賃料確定訴訟を提起する旨を通告している。)のに、何らの方策も講じないまま、平成五年八月から平成八年六月までという長期間にわたり、合計二二七一万円という多額の賃料の不払いをしているものである。
なお、控訴人は、賃料の減額請求をした都度、賃料確定訴訟を提起しなければならないものではなく、他の訴訟の中で賃料の確定を求めることも可能であると主張するところ、減額を正当とする裁判が確定したというためには、必ずしも控訴人自ら賃料確定訴訟を提起し、これが確定しなければならないというわけではなく、本件のように賃貸人からの建物賃貸借契約の解除に基づく建物明渡し・未払賃料請求の訴訟が提起された場合において、反訴として賃料の確定を求め、これが確定した場合なども含まれるとはいえるものの、右の場合において、単に、信頼関係を破壊しない特段の事情として、自ら減額請求をした額が客観的に適正であると主張するだけでは、賃料の確定を求めたとはいえないことは明らかである。
また、なるほど、原審における鑑定の結果によれば、平成五年七月八日現在の本件建物の賃料は一か月四三九万円、平成八年四月一日現在の右賃料は一か月三五三万円が相当であるとされており、これによれば、控訴人の減額請求による賃料額が客観的に適正であったと認める余地もあることが窺われるものの(ただし、他方で、甲第二号証には、平成五年四月一日時点の本件建物の賃料は一か月五一八万円が相当である旨の記載がされている。)、控訴人の減額請求の可否及びその額は、これについての判決の確定によってはじめて明らかとなるものというべきところ、控訴人において、これを求める訴訟は未だ提起していないことは、前判示のとおりである。
さらに、控訴人は、本件割増賃料の支払いについては、一方的に特約を破棄し(乙第一号証)、消費税を含めて合計一〇三八万二四〇〇円の支払いをしなかったもので、この点の債務不履行は明らかである。
以上を総合すると、控訴人が主張する一億六二〇〇万円という高額な保証金を差し入れていることなどを考慮しても、本件において、信頼関係を破壊しない特段の事情を認めることはできず、また、債務不履行を理由とする解除権の行使が権利の濫用に当たるものともいえない。
2 次に、控訴人は、被控訴人は、賃貸面積を偽り、控訴人に巨額の金員の支払いをさせているのであるから、控訴人の行為が信頼関係を破壊すると主張するのは、クリーンハンズの原則に反すると主張する。
しかしながら、被控訴人が賃貸面積を偽った事実が認められないことは、既に説示したとおりであるから、控訴人の右主張は前提を欠き、採用できないことが明らかである。
三 争点3について
1 甲第一八号証の一ないし一〇、第一九ないし第二一号証、第二四号証、乙第六号証、第七号証の一、二、第八、九号証によれば、
(一) 控訴人は、本件建物を明け渡すこととし、被控訴人から本件ビルの管理業務を委託された三鬼企画管理株式会社(以下「三鬼企画」という。)との間で、本件建物の原状回復について打ち合わせし、平成九年九月二日付け原状回復工事に関する覚書を取り交わして、控訴人が行うべき原状回復工事の内容及び右原状回復工事についての被控訴人側の検査終了をもって引渡しとすることを約したこと、
(二) 控訴人は、三鬼企画に対し、同年一〇月三〇日に本件建物の引渡しをするので立ち会ってほしい旨を申し入れたこと、
(三) 同日、三鬼企画の担当者である瀬下達助(以下「瀬下」という。)が本件建物を検査したところ、控訴人の本件建物からの退去と前記覚書で定めた原状回復工事は完了していたものの、開き窓のハンドルが一〇か所欠落しており、窓の開閉操作ができない状態であり、かつ、窓の調整ハンドルが一か所欠落していることが判明し、直ちに控訴人において取り付けることとしたこと、
(四) ところで、控訴人は、瀬下及び同人を介して被控訴人に対し、同月末日をもって本件建物を引き渡したこととしてほしいと申し入れたが、瀬下は、右ハンドルの欠落が存する以上、前記覚書にいう検査終了ということはできないと言明し、また、被控訴人も右ハンドルの修理が完了し、検査終了とならなければ引渡しを受けたものと了解することはできないとして、右申入れを拒絶したこと、
(五) その後、控訴人は右ハンドルを取り寄せて修理しようとしたが、同等部品を入手できなかったこと、三鬼企画は、右ハンドルにつき同社の方で手配して工事することとし、その期間を考慮して本件建物の引渡日を平成九年一一月一五日とすることを申し入れたが、控訴人はこれを拒絶したこと、
(六) 現在も右ハンドルの欠落は修理されていないこと、
以上の事実が認められる。
2 以上の事実に基づいて検討するに、控訴人は、平成九年一〇月三〇日までに、打ち合わせに基づく原状回復工事を完了した上、被控訴人に対し、同月三一日に本件建物を引き渡す旨を申し入れているものであること、これに対し、被控訴人は、同月三〇日に新たに窓のハンドルの欠落が判明したため、原状回復工事が完了していないとして本件建物の引渡しを拒んだものであり、こうした被控訴人の対応が相当でないと断ずることはできないものの、右ハンドルの欠落の補修は被控訴人において容易に行えるものであり、かつ、その額もさほど高額とは思われず、これを控訴人から回収することにも不安はないと考えられること、他方、前記争いのない事実のとおり、本件賃貸借契約においては、控訴人は、本件賃貸借契約終了後本件建物明渡し済みまで賃料相当額の倍額の損害金を支払う旨の特約がされているため、右引渡しが認められないと、一か月一〇〇八万円の割合による約定損害金の支払いをしなければならないことになることなどを総合勘案すると、控訴人は平成九年一〇月三一日をもって本件建物を明け渡したものと認めるのが相当である。
四 争点4について
以上によれば、本件賃貸借契約は、平成八年六月二〇日の経過をもって解除によって終了したと認められるところ、この間控訴人は、被控訴人が相当と認める額として請求した額を支払う義務があったのであるから、平成五年八月分から平成八年六月二〇日までの未払賃料計二一〇三万円(右期間の未払賃料額は二二一〇万六六六六円(円未満切捨て)と算出されるが、被控訴人の請求額に止める。)及びこれに対する未払消費税分六三万〇九〇〇円(被控訴人主張の六三万〇九〇八円は誤記と解される。)の合計二一六六万〇九〇〇円を支払う義務があることとなる。
また、平成五年四月一日及び平成八年四月一日のそれぞれ支払うべき本件割増賃料についても、新賃料が基準となっていることに鑑みると、減額を正当とする裁判が確定するまでは、被控訴人の相当と認める額を基準とすべきものと解するのが相当であり、被控訴人の主張のとおり、控訴人は、消費税を含めて合計一〇三八万二四〇〇円を支払うべき義務があるというべきである。
さらに、本件賃貸借契約が終了したのであるから、控訴人は、その翌日である平成八年六月二一日から、本件建物を明け渡した平成九年一〇月三一日まで賃料相当額の倍額の損害金を支払うべきところ、これについても、減額を正当とする裁判が確定するまでは、被控訴人の相当と認める額を基準とすべきものと解するのが相当であるから、消費税を含めて一か月一〇三八万二四〇〇円の割合による約定損害金合計一億六九五七万九二〇〇円を支払うべき義務があることとなる。
なお付言するに、被控訴人が控訴人から、以上の合計二億〇一六二万二五〇〇円の支払いを受けたとしても、減額を正当とする裁判が確定した場合には、被控訴人において、正当とされた賃料を超過した額に年一割の割合による受領の時からの利息を付してこれを控訴人に返還すべきものであることは、既に説示したとおりである。
五 よって、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し、二億〇一六二万二五〇〇円の支払いを求める限度で理由があるが、その余は理由がないこととなるから、原判決を右のとおり変更することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官矢崎秀一 裁判官西田美昭 裁判官筏津順子)
別紙物件目録<省略>